こんにちは、鳥飼店長です。
今回は、前回のブログ(鳥と世界の見方4谷中編)からのつづきです。
世界はいかに鳥であふれているか、というテーマで
今回は、百人一首の中で見つけた鳥たちをお届けします。
百人一首は、鎌倉時代に藤原定家(ふじわらていか)という、貴族で、有名な歌人が
百人の和歌の作者と、その作品を一首ずつ選んで「百人秀歌」という形で
まとめたのが原型だと言われているそうです。
(参考文献:「桃尻語訳 百人一首」橋本治 海竜社)
その中には、やっぱり鳥がでてきます。
いろんな形で、作者の気持ちを代弁するために。
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3 柿本人麿(かきのもとのひとまろ)
「あしひきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む」
この中の山鳥は、尾が長いというだけで、使われているそうです。
すべては夜が長いということを強調するために前半部分があって、
これは、なんにもない日(ほんとは、いろいろあるんですけど)
一人、ベット(ふとん)のなかで寝むる直前の気持ちでしょうか。
なにか足りない気持ち。
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6 中納言家持(ちゅうなごんやかもち)
「かささぎの 渡せる橋に 置く霜(しも)に
白きをみれば 夜ぞふけにける」
かささぎの渡せる橋、とは天の川に架けられた橋だそうです。
七夕の日に織姫と彦星が一年に一度会うための橋を
かささぎが架けていたのです!なんか、ひとり興奮。(←阿呆の鳥飼)
かささぎの渡せる橋(天の川)をみあげ、庭には白く霜が。
そして、夜はふけていきます。
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62 清少納言(せいしょうなごん)
「夜をこめて 鶏(とり)の空音(そらね)は はかるとも
よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ」
鶏の空音とは、にわとりの鳴き真似のことだそうです。
逢坂(あふさか)の関とは、滋賀県の逢坂山にあった関所のことで、
逢うという文字があることから、
出会いや別れの意味で、和歌ではよく使われている言葉だそうです。
つまり、男が振られる歌なのですが、
にわとりの鳴き声を真似ている男ってなんか楽しいですね。
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78 源兼昌(みなもとのかねまさ)
「淡路島(あはぢしま) かよふ千鳥(ちどり)の なく声に
いく夜ねざめぬ 須磨の関守」
淡路島の対岸の須磨の関所の番人は、鳥の鳴き声で
何度も夜に目覚めています。もちろん、歌にはなにか匂わせるものが、
思わせる雰囲気があります。なにか、風景と気持ちがセットで。
(私は、毎朝、我が家の鳥(びび)の鳴き声で、目覚めています。
たたき起こされています。)
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81 後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)
「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明(ありあけ)の 月ぞのこれる」
夜明け間近の情景を歌っています。ほととぎすが鳴いています。
月がぼんやりとみえています。ただ、風景をかきつらねているのではなく、
そこに気持ちがこもっています。
鳥の鳴き声だけがきこえる感じは、とても静かですがいいものです。
世界は鳥であふれています。
つづく。
てんちょ。