鳥飼と別れ

こんにちは、鳥水木の鳥飼店長です。
びびが突然亡くなってしまってから、7日ほどの時間が立ちました。
家族みんなで泣きはらし、花と一緒に、太陽が昇ってくる、東の方角の森の
木のそばに埋葬をしてからも、その事実を飲み込むことができない日が
続いていました。
鳥の先生から温かい言葉をもらい、びびの亡くなった
わけを推測することができて、事実としてそのことが固まっていくなかで
強い悲しみが吹き荒れていました。どうしようもなく激しい妄想が
心の中に次から次へと湧いてきていて、後悔や悲しみや怒りや痛みが
容赦なく流れ込んでくるような、そんな時間が続きました。
でも、びびのそばで一晩考え、そして、次の日の朝にさよならをするとき
一番強く思ったのは、感謝の気持ちでした。びびとの日々でたくさんの
ものを受け取って、もらっていて、それはどれも、とても温かで、明るくて
優しいものでした。最後の瞬間は、とても強烈で、圧倒的な強い感情を
呼んでいるし、それはどうしようもないのだけれど、でも、今までの
99.9%のびびとの日々は、とても明るい、なにものかであって、
それを全部引き換えにするのは、おかしいと思っていました。
今の強い悲しみと一緒に湧いてくる激しい妄想は、最後の瞬間だけに
張り付いていて、それでびびと過ごした生活の全てを染めてしまおうとしていて、
なんとかそれをやり過ごして、落ち着きを取り戻すことができるようにと
この1週間を過ごしていました。
びびのいない生活を、流していくこと。日々の、特に家事のような淡々とした作業で、
その「今」に集中するように動いたり、仕事に、これもやっぱり同じように「今」に
集中するようにしながら、湧き上ってくる妄想に流れないように注意していました。
ケージをそのままにして、その中の水を毎日新しいものにかえていたり、
小松菜をいれたり、花を飾ったりして、見えなくても、びびとつき合っているような、
そんなことを繰り返しています。
最近は少しずつ、強烈な悲しみに襲われるような状態から、寂しさを感じる
穏やかな感情に変化していくのがわかります。
びびのいない生活を回せるようになっていくにつれ
気持ちが落ち着いて来て、最期の時のことよりも、日々の触れ合いだったり、
びびの仕草や癖だったり、出かけた思い出だったりと、
楽しかったことを思い浮かべられるようになってきています。
今は、びびのことをありありと、まるでこの場にいるように、触る事ができるように、
思い浮かべることができます。それでも、たった7日がすぎただけでも、
少しずつ、それが薄まっていくのがわかります。たぶん、この先どんどん薄まって、
そんなふうに思い浮かべることができなくなるのでしょう。
世界は、生きているものたちと、死んでいるものたちとで充満している。
そういう実感が、今はあります。
この鳥水木日誌の古い日誌に、「鳥と世界の見方」というのがありました。
びびと暮らすようになってから、世界は鳥であふれていることを教えてもらった、
そんなことを書いています。その日誌では、最後にこう書いています。
”いままでとほんのちょっと見方が変わるだけで、
いつもの風景がガラッと変わることを知りました。
この鳥のおかげ。↓(この鳥が指に乗った時から。)”
blog_bird_world_8びびには、本当にいろんなことを教えてもらいました。今も。この先も。
感謝しています。

てんちょ。